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ご挨拶

 当院のホームページをご覧いただき、誠にありがとうございます。院長の森川陽一と申します。令和3年(2021年)3月、京都の四条駅・烏丸駅から徒歩2~3分のところに、心療内科・精神科クリニックを開院させていただきました。私はこれまで、大阪医科大学神経精神医学教室に入局し、大学病院や関連の精神科病院で、精神科医療を基礎から学ばせていただきました。今後は、これまでの経験を活かして、地域医療に貢献したいと考えております。特に、働く人たちの多い京都四条烏丸エリアで、私自身、約10年間のサラリーマン時代の経験を踏まえ、働く人たちの悩みに共感し、寄り添っていきたいと思います。

 なお、開業に当たり、諸先輩方に多くのご助言をいただき、また、これまでお世話になった先生方の他、携わっていただいた全ての方々に多大なるお力添えをいただき、厚く御礼申し上げます。

 

<院長自己紹介>

 心療内科・精神科においては、他の科でも聞かれる現病歴、既往歴、家族歴、アレルギーの有無、喫煙歴や飲酒歴などに加え、生活歴(例えば、生まれはどこで、何人兄弟の何番目、出生・発育はどうだったか、元来どんな性格なのか、お友達は多かったのか、学校での成績、最終学歴、職歴、婚姻歴、違法薬物使用歴、職場での人間関係や家族との関係等々)を教えていただくことが、診断・治療において大変重要であると考えております。そこで、「じゃあ担当医はどんな人間なの?」と思われる方もいらっしゃるため、少々長くなりますが、私自身にまつわること、私の考えや医療への思いなどをお話させていただきます。

 私は、父がビルマのラングーン日本人学校長として赴任していた時に、ビルマのラングーン(現ミャンマーのヤンゴン)で生まれました。「ビルマ」と聞いて、「ビルマの竪琴」を連想される方、「ミャンマー」と聞いて、「アウンサンスーチー」氏、「ロヒンギャ難民問題」、「国軍によるクーデター」などが思い浮かんだ方もいらっしゃるかもしれませんね。ミャンマーは東南アジアに位置し、5つの国と国境を接しています。大半は熱帯に属しており、とても暑いです。太陽がさんさんと照り付けるため、「太陽がいっぱい」という意味で、私の名前(陽一)に太陽の「陽」が付けられました。漢数字の「一」については、二人の兄に、父の名前の漢字をそれぞれ取って使ってしまったので、父方、母方両方の祖父(榮一、宗一)に付いていた「一」が採用されました。時々、長男? と聞かれますが、三男です。実際は、長兄の上に姉がいましたが、心臓疾患により、生後150日で亡くなっています。もし姉が生きていたら、姉と2人の兄がいるため、私はこの世に生まれていなかったかもしれません。若い頃からそういったことを時々考えることがありますが、その時には、「姉の分までしっかり生きなきゃ」と思います。名前につきましては、皆さんも、ご両親やご家族などが、何らかの意味や希望など、想いを込めて名付けられているのではないかと思います。ちなみに、皆さんはご自分の生まれた曜日をご存知でしょうか? 私は、金曜日生まれです。ミャンマーでは、生まれた曜日にちなんで名前が付けられるように、生まれた曜日が重視されます。ミャンマーの伝統暦は8曜日ですが(水曜日が午前と午後の2つに分けられます)、それぞれに方角、支配星と守護動物が存在しており、パゴダ(仏塔)では、自分の生まれた曜日の守護動物のところでお参りします。ミャンマーについて、これ以上は専門書などに譲りますが、興味を持っていただけたら幸いです。

 2歳になる前に、家族で日本に帰国しました(私にとっては、日本に来たという方が正しいのかもしれませんが)。高校卒業まで、愛知県の公立学校に通い、特に、小学校ではサッカーと水泳、中学校ではバスケットボール、高校では器械体操の練習に励む日々でした。愛知県立一宮高等学校卒業後、早稲田大学理工学部電気工学科に進学しました。父や兄の影響で中学生の頃からオートバイに興味を持ち、高校1年でバイクの免許を取り、一つ目の大学生の時にはバイクばかり乗っていました。バイクに寝袋やテントを積み、北海道の大自然をツーリングするなど、いろいろな所に行くのが大好きでした。就職活動をする頃には、パイロットになりたいと思い、就職活動と並行して、航空大学校を受験しました。学科試験は合格したものの、第二次試験の身体検査で不合格となってしまいました。学科試験で落ちたのなら勉強すれば済む話ですが、身体検査となるとどうすることもできず、悔しい思いをしました(日常生活には全く支障がないレベルでしたが、おそらく近見視力と夜間視力が原因)。大学卒業後、東京エレクトロン株式会社という半導体製造装置の会社に就職しました。ここでは社会人としての基礎から学び、エンジニアとして日本のみならず、海外勤務が長期に渡り(アメリカ、イギリス、ドイツ、スペイン、フランス、イスラエル、台湾、シンガポール、中国など)様々な地域で、多様な人種、文化、風習や考え方などに触れることでグローバルな視点を持つことができるようになり、大変感謝しております。また、シンガポールでは駐在という形で赴任しておりました。多様な世界を見るにつれ、自分の生まれた国がどういう国なのか、また、自分の生まれた国の言葉が話せないことを自分自身情けなく感じるようになり、ミャンマーの大学(ヤンゴン外国語大学)に入りました。それまでに旅行では何度か訪れていましたが、長期間住んでみて初めて気付くこと、分かることがたくさんあり、その後の人生で医師への方向転換のきっかけになったと思います。ミャンマーから帰国後は、キヤノン株式会社、日本エーエスエム株式会社に勤め、アメリカやアイルランドに長期滞在しました。仕事で海外に行くことが多かったのですが、海外旅行も好きで、これまでに40ヶ国以上の国を訪れています。2007年3月末に会社を退職後、一念発起して医学部再受験(一般入試)の勉強を開始し、2008年4月に岩手医科大学医学部に入学しました。大半の同級生は一回り以上年齢が離れていましたが、皆さんに仲良くしていただき、なんとかストレートで進級、医師国家試験に合格できました。日本では「もう年だから・・・」と言って新しいことにチャレンジしなくなる人が多いように感じます。しかし、ミャンマーの大学に20代で留学した際、いろいろな国からの留学生がいましたが、そこには、30代、40代、50代の方もいらっしゃいました。むしろ、多くの留学生は、私より年上の人ばかりでした。その中でも、ある50代の女性と仲良くさせていただきましたが、その方に、「新しいことを始めるのに年齢は関係ない」ということを言われました。そのことは、後の私の人生に大きな影響を与え、また、新しくチャレンジする際の支えとなっています。このようなことから、私は患者さん一人一人に、新しい一歩を踏み出すきっかけを提供できるよう、また、即効性がなくとも、中長期的にその後の人生において何らかの影響を与えられるよう、一人でも多くの方の支えになれたら幸いです。ただし、皆さんにご理解いただきたいこととして、診察室での限られた時間の中だけで治療がなされるわけではありません。つまり、診察の中で、医師が言う言葉ですぐに良くなるということは少ないと思います。むしろ、診察と診察の間に、患者さんご自身が変わっていくためのきっかけを作りたいと思います。もちろん、薬物療法が必要と判断すれば、患者さんとご相談の上、最小限の薬で加療していきたいと思います。病状によっては、数カ月から年単位の治療になることもあります。治療として、時には、変化を待つことも重要であり、そういった意味では、回復に時間がかかることもあります。私は、根気強く回復へのお手伝いをするだけではなく、一人一人に、夢や希望を与えることができたらなあと思っています。

 次に、「なぜ精神科を選んだのか?」という質問をされることがよくありますので、お答えしておきたいと思います。精神科で扱う病気には、検査ではなかなか診断が難しい疾患が多く、精神科医により診断名が変わることはよくあり、確定診断ではなく、臨床診断となります。また、治療薬に対する反応性が患者さんによって違い、ガイドライン通りに投薬しても良くならないことがあり、それぞれの患者さんに合わせて治療していくことになります。その際、薬剤の適応外使用をすることも多くなります。そのため、精神科医によって薬の選択が違い、個に任される度合いが大きいところが魅力の一つだと思います。それから、精神科では前述のように生活歴を詳しくお聞きするため、目の前の患者さんがどういう人生を歩んでこられたか、その人の歴史といいますか、その人の人生に触れることは大きな魅力です。次に、これは精神科医に限らないことかもしれませんが、緩和ケア病棟でのこと。そこは、癌末期で余命3週間くらいの患者さんばかり入院してくる所。生命の最終章を迎え、全ての積極的治療を中止し、悲嘆にくれる患者、家族。患者は、現代医学でも解決できないことに悲観することで苦悩をより深くすることもある。そんな人たちをどう癒すか。非常に難しいことです。如何に信頼関係を築くか。私のスタンスは、生活歴を聞いていき、その人がどういう人生を歩んできたか、楽しかったこと、辛かったことなど共に振り返り、家族への思い、死に対する思い、恐怖、今したいことなど、いろんな話をして寄り添います。最初は全く話をしてくれなかった人が徐々に心を開き、そのうち私が病室に来るのを待ってくれるようになるとたまらなく涙が出ます。その人の人生の本当の意味での終末、ほんのわずかな時間になることがほとんどですが、人生の最後に関わることができたこと、自分を必要としてくれたとしたらこの上ない喜びです。さらには、精神科はサラリーマン時代の経験を活かせるのではないかと。精神科医というのは、一生をかけてなっていくものだと思っています。自らの様々な苦悩や体験が、患者さんの苦悩を想像し、共感できる礎になる。つまり、自らの人生経験が全て臨床に生きる。我々は、知とこころを用いて患者さんの精神内界を検索しようとし、患者さんのこころに働きかけようとする。こういったことができる職業人になれるよう、一生をかけて精進していきたいと思います。もちろんこれだけではありませんが、以上のようなことが、私が精神科を選んだ理由となっています。

 自己紹介の最後に。私が緩和ケア病棟を離れる際、そこでお世話になった尊敬する先生に、ご自身の著書をいただきました。表紙をめくると私へのメッセージとして直筆で、「夢を生きる」と書かれています。改めてこの言葉を考えると、非常に言葉が深いと感じます。特に、人生の最終章を迎えている人に寄り添った言葉なのかもしれません。また、解釈によっては、そういった人に対してだけではないのかもしれません。物事が思うようにいかない時、こころが傷ついている時、辛い時、幸せを手に入れることができない時、大切な人と離別した時など、「夢を生きる」ことができたらなあと思います。私なりに、もう少し具体的に考えてみると、例えば、「(少年時代の)夢を(思い起こして)生きる」「(大きな)夢を(持って)生きる 」「夢を(持ち続けて)生きる」「夢(のような日々)を(忘れずに)生きる」「夢(のような出来事)を(心に留めて)生きる」「夢を(思い出に変えて)生きる」「夢(の中)を(さまよいながら)生きる」「夢を(諦めないで)生きる」などなど。皆さんにとっての「夢を生きる」とはどういったものでしょうか? 診察室で教えていただけることを楽しみにしています。

 

<クリニックの名称について>

 自己紹介にありますように、自身の出生の原点に戻り、「太陽」を入れました。さらにそこから、基本理念へと繋がっています。また、一人一人の患者さんと強固なラポール(信頼関係、なごやかな「こころ」の通い合った状態)を築くことを重視しています。大変おこがましいとは思いますが、治療者を「太陽」、患者さん一人一人を、太陽を象徴する花である「ひまわり」(漢字では 向日葵、英語では sunflower)と例えます。向日葵は、生長が盛んな若い時期に、太陽が移動することによって花の向きが変わるといった向日性があります。みなさんのこころに不調が生じ、症状が出現し始めた早い時期に治療者を訪れていただき、信頼関係を築くことによって、お互いにしっかりと向き合うことができます。そして、「太陽」と「向日葵」の関係になれれば、治療効果も上がると考えております。反対に、治療者と患者さんの信頼関係の構築がなされないと、精神科医療においては治療効果が高くはならないと思います。また、早期に治療介入されず、症状が進み固定してしまうと、なかなか治療者の方を向くことができないことも多く、そういった場合には、入院設備のある病院に行く必要が出てくると考えます。そうなると、症状軽減までの時間がかかり、場合によっては、入院加療の必要性が生じてくることも考えられます。こういったことから、こころの不調を感じた際には、お気軽に早目の受診をしていただくようお願い申し上げます。

 上記のような「太陽」と「向日葵」の関係をイメージして、クリニックのイラストを作成しました。美術教師である兄にイメージ図を描いてもらい、それをベースに自分で作成しました。

 

<「患者さん」という呼び方について>

 現在、医療機関を受診される方をお呼びする際に、「患者様」という施設も多いと思います。当院においては、以下の理由・考え方により、「患者さん」という呼び方にさせていただいております。

 自己紹介で述べた通り、私は元々一般企業のサラリーマンをしていました。特に、社会人としての基礎を学んだ東京エレクトロンという会社では、社長を含め、役職のある全ての上司に対しても「さん」付けの会社でした。それだけが理由とは思いませんが、少なくとも私がお世話になった上司との関係は、非常に風通しが良く、意見しやすい雰囲気でした。肩書にとらわれず、「さん」付けで呼ぶことは非常に心地良い感じがしていました。一方、「患者様」という呼び方は、考え過ぎかもしれませんが、長く企業勤めをしていた私にとっては「お客様」といった感じがしてしまいます。もちろん、医療機関とは言え経営の観点からは、患者さんは「お客様」なのでしょう。しかし私は、そういった視点ではなく、「治療同盟を結ぶ対等な関係」として捉えています。そのため、私のことを呼んでいただく際には、「先生」ではなく、「もりかわさん」と呼んでいただきたいと思っています。反対に、私にとって患者さんは、訴えの内容、症状、薬物・精神療法などの治療に対する反応性や治療経過など、生の臨床を教えていただく「先生」だと思っています。こんな風に、呼び方を意識し過ぎる必要はないのかもしれませんが、私の医療に対する思いの一例としてご紹介させていただきました。ちなみに、これまで担当させていただいた患者さんの中には、私のことを「さん」付けで呼ばれる方もいらっしゃいますので、どうぞお気軽に。

 

<略歴>

1973年 6月 

ビルマのラングーン(現ミャンマーのヤンゴン)で出生

1992年 4月 ~ 1996年 3月

早稲田大学理工学部電気工学科 卒業

1996年 4月 ~ 2002年 6月

東京エレクトロン株式会社 勤務

2002年 9月 ~ 2003年 8月

Yangon University of Foreign Languages Basic Level Myanmar Language Proficiency Course 修了

2003年12月 ~ 2004年 6月

キヤノン株式会社 勤務

2004年10月 ~ 2007年 3月

日本エーエスエム株式会社 勤務

2008年 4月 ~ 2014年 3月

岩手医科大学医学部 卒業

2014年 4月 ~ 2016年 3月

高槻赤十字病院にて臨床研修 修了

2016年 4月 ~ 2020年 3月

大阪医科大学付属病院 精神神経科 (常勤・非常勤)

2016年 4月 ~ 2016年 9月

医療法人和気会 新生会病院 (非常勤)

2016年10月 ~ 2017年 3月

医療法人千水会 赤穂仁泉病院 (非常勤)

2017年 4月 ~ 2018年 3月

医療法人 新淡路病院 (常勤)

2018年 4月 ~ 2020年 3月

医療法人社団 瀬田川病院 (常勤)

2020年 5月 ~

京都府赤十字血液センター (非常勤)

2020年 6月 ~ 2021年 3月

医療法人千水会 赤穂仁泉病院 (非常勤)

2021年 3月 ~

もりかわ太陽こころのクリニック 開院

 

もりかわ太陽こころのクリニック   

院長 森川 陽一(精神保健指定医)

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